旧 約:出エジプト記3:1~15

新 約:ルカによる福音書20:27~40 

説 教:「ひとりの神、1人の神」指方周平(2018年11月)

 

同志社の創立者・新島襄は、自らの長期留守中に数名の学生が退学処分になったことを知り、彼らを惜しんで「諸君よ、人一人は大切なり」と涙ながらに訴えたといいます。「一人を得、一人と問答し、一人の心を開くは伝道上大切の事なり」も新島襄の言葉ですが、私は初任地・桂教会の牧師就任式において、来賓の阪田吾郎牧師が「教会のために祈るとは、一人、一人の名前をあげて祈ること」と端的におっしゃられたことを今も毎朝思い出します。人を「あなたたち」「彼ら」「人々」と代名詞や複数形で呼ぶ時、それは顔の見えないぼんやりした集団ではなく、あくまで独立した人格を持った一人、一人なのだと思い起こします。

 

サドカイ派のユダヤ人たちは、兄が跡取りを残さずに死んだ場合、遺された妻を弟と結ばせて、生まれきた子に亡くなった兄の家督を継がせたレビレト婚という風習を例に「復活の時、その女はだれの妻になるのでしょうか」と主イエスを試す質問をしました。主イエスは、女性を誰かの付随物や一族の所有物程度にしか見ることのできなかった人々に対して「次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない」と人格の独立を示され「死者が復活することは、モーセも『柴』の箇所で主をアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼んで、示している。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。」と、ひとりの主なる神は、一人、一人の神であられる事実を宣言されました。アブラハムという一人を選び出し、イサクという一人を備え、ヤコブという一人を祝福し、モーセという一人を用いられた主なる神は、御自身に似せて造られた一人、一人の命に関心を注いでおられるのです。

 

十把一絡げに用いられがちな「あなたたち」「彼ら」「人々」も、主なる神さまの御目には、かけがえのない一人、一人です。そして御子イエスの命を与えるまでに世を愛された主なる神は、世に生きる私たち一人、一人に「わたしは必ずあなたと共にいる」と宣言してくださっています。そこまで主なる神に愛されている一人としての尊厳を心に書きつけて、周囲の評価や状況などには揺るがされない独立した一人として、主イエスに従う一人として、今週も、この礼拝の節目から、ひとりの神と一人の隣人を愛する訓練の旅路へと送り出されて参りたいのです。

(2018年11月18日礼拝説教要旨)

https://www.doshisha.ac.jp/information/history/word/joe_backnumber.html

同志社大学HPより転載。

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