招 詞:ペトロの手紙Ⅰ5:7

交 読:詩編23:1~6

旧 約:エゼキエル書34:7~15

新 約:ヨハネによる福音書10:7~18

説 教:「主イエスは良い羊飼い」指方周平牧師(2018年4月)

 

「見よ、わたしは自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。」「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。」旧約聖書にあるように、遊牧民族に由来するイスラエルの人々は、神の民として、主なる神に養われる羊の群れにたとえられてきました。そして主イエスは「わたしは良い羊飼いである」と重ねて宣言されました。

 

「自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。」「彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。」主イエスの御言葉に刺されつつ、自らの牧会を省みて思い起こすのは、何とか良い牧師であろうとしてきた気負いと焦り、主イエスではなく自分が中心であったがゆえの迷いと失敗です。しかし同時に思い出されたのは、東所沢教会牧師就任式において「主イエスが群れを率いてくださるのだから、牧師は他の羊に声を掛けながら主イエスに一番についていく羊であればいい」とおっしゃられた司式者のお勧めと初心でした。

 

主イエスは、従順について来る羊だけの羊飼いではありません。「わたしについて来なさい」「わたしに従いなさい」と招いてくださった主イエスは、危機に陥った羊を一匹たりとも置き去りにして進んでは行かれません。羊のために命を捨てる主イエスは、羊が探さなければ見つからない方ではなく、羊が知るに先んじて、全ての羊を知っておられる良い羊飼いのです。この主イエスから直に牧会を受けたペトロは「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです」と証言しています。

 

私たちには、良い羊飼いの囲いに入っていない羊に、私たちと共におられる主イエスを伝える使命が与えられています。恐怖の中で主イエスを三度否んでしまったペトロが体験したように、十字架と復活の主イエスは、私たち1人1人の名を呼んで「わたしを愛しているか」と立ち返る機会を与え、「わたしの小羊を飼いなさい」「わたしの羊の世話をしなさい」「わたしの羊を飼いなさい」と命じ、神の国の御用に新しく遣わしておられます。「教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。」新しく始まった2018年度も、永遠の契約の血による羊の大牧者、主イエスによって、この群れに集められた私たちが互いに愛し合う事実によって、私たちの間におられる主イエスを世に証しして参りたいのです。

(2018年4月15日礼拝説教要旨)

(羊の群れと羊飼い エリコ付近の車窓から 2016年11月撮影)

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   日本キリスト教団

  東 所 沢 教 会