聖書: ヨブ記2章11~13節

黙想:「沈黙の真実」指方周平牧師(2018年9月)

 

「さて、ヨブと親しいテマン人エリファズ、シュア人ビルダド、ナアマ人ツォファルの3人は、ヨブにふりかかった災難の一部始終を聞くと、見舞い慰めようと相談して、それぞれの国からやって来た。遠くからヨブを見ると、それと見分けられないほどの姿になっていたので、嘆きの声をあげ、衣を裂き、天に向かって塵を振りまき、頭にかぶった。彼らは7日7晩、ヨブと共に地面に座っていたが、その激しい苦痛を見ると、話しかけることもできなかった。」

(ヨブ記2章11~13節)

 

「ぼくは、いじめる子たちに『なんで?』ときけませんでした。でも仲間はずれにされた子と、よくさかなつりに行きました。学校から離れて、海岸で一緒に糸をたれているだけで、その子はほっとした表情になっていました。話をきいてあげたり、励ましたりできなかったけれど、だれかが隣にいるだけで安心できたのかもしれません。」

(2006年12月2日朝日新聞掲載「広い海にでてみよう」さかなクン)

 

子どもの自殺が最も増えるという新学期の始まりに際して、10年以上前に魚類学者でタレントのさかなクンが「いじめられている君へ」という新聞の特集に寄稿していた一文を思い出していました。そして、今日の聖書日課よりヨブと3人の友人たちを思い巡らせていました。無垢な正しい人で神を畏れ、悪を避けて生きてきたヨブは、神さまに「地上に彼ほどの者はいまい」と太鼓判を押されていた人物ですが、そんなヨブでさえ、わけのわからない苦難に深く飲み込まれる試練を味わいました。3人の友人たちは、ヨブが苦しまなければならない原因を追究したり、状況に意味付けしようとして言葉を重ね、それらに納得できないヨブとの間に、延々と論争を繰り広げてしまいます。

 

しかし本来、彼らはヨブを裁くためではなく、見舞い慰めようと相談して、はるばる旅してきたのでした。そして、変わり果てたヨブを見た時に話しかけることも出来ず、7日7晩、ヨブと一緒に座っているしかできなかった3人の最初の沈黙は、決して無力ではなく、この後次々重ねられていくどんな雄弁な理屈にも先んずる真実であり、慰めであったと思います。困難な状況にある人を前にして、簡単に声を掛けられないのは当然でしょう。そして、誰しもが納得できるような気の利いた言葉が紡ぎ出せなくても、衆人の裁きの目に晒されていた女性を前に、座り込んで沈黙された主イエスのように、言葉にならぬ祈りにその人を包むことは自分にもできるはずだと思い巡らせるのです。

 

(2018年9月12日祈祷会にて)

Anton Robert Leinweber18451921

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