招 詞: ペトロの手紙Ⅱ1:17 指方周平牧師(2018年1月)

旧 約: イザヤ書42:1~4

新 約: マルコによる福音書1:9~11    

説 教:「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」
                      

我が家の末っ子は寝る前に読み聞かせをせがみますが、棚から選んで持ってくる絵本は大体決まっています。そして毎晩、同じページで驚き、同じページで笑い、同じ結末で安堵するのです。これは発達途上の子どもにとって決してマンネリではなく、すでに知っている内容であっても誰かと一緒に確認することで安心を得ているからだと聞いたことがあります。何事も、新しい発見を広く浅くつまみ食いするばかりではなく、繰り返し味わうことによって自分の一部分になっていく成長の過程を教えられる思いでした。

 

主イエスは伝道の開始に際して神の御子に洗礼は必要ないとおっしゃられることなく、私たち人間と同じように洗礼を受けられて父なる神さまへの従順を示されました。そんな主イエスが水の中から上がられると、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを御覧になられ「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が天から聞こえたといいます。まるでそこで誰かが目撃していたかのように福音書には記されておりますが、これは主イエスが弟子たちに何度も語り聞かされたご自身の原体験だったと私は想います。後に、十字架の死と復活を予告される主イエスの姿が、高い山の上で光り輝く変容の場面においても、この声は「これはわたしの愛する子。これに聞け」(9:7)と聞こえてきます。

 

主イエスは心が神のまま体だけ人間になられたのではありません。罪こそ犯されませんでしたが、あらゆる点において私たち人間と同様に試練に遭われたのです。しかし主イエスの公生涯には、いつも「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という肯定の宣言が響き渡っていました。どんなに辛く苦しい時も、父なる神さまに愛され受け容れられているという原点の確認は、十字架の死に至るまで従順であられた主イエスにとっても、欠かしてはならない日毎の糧であったと思い巡らせるのです。

 

主イエスに注がれた「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」との天からの声は、今や、十字架と復活の主イエスに結ばれてキリストの体とされた私たち1人1人への宣言でもあります。私たちが天地万物を造られた天の父なる神さまによって神さまに似せて造られている尊厳、主イエスによって罪を許され永遠の命を約束されている恵みは、私たちのあやふやな自覚や身勝手な都合には左右されない確定した永遠の事実です。竹が空に真っ直ぐ伸びるために節目が必要なように、天国への途上にある私たちにとっても、この恵みに立ち返る節目は終生不可欠です。幼子が何度も同じ絵本を楽しんで安心を育んでいるように、私たちも父なる神さまに愛されている子どもとされた喜び、御心に適う者とされた感謝を、毎日の祈りと毎週の礼拝によって素直に味わい直しつつ、キリストに似た者へと成長させられてまいりたいのです。

(2018年1月14日礼拝説教要旨)

Domenico Ghirlandaio, The Baptism of Christ, 1486-90

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