招詞:マタイによる福音書5:23~24

旧約:申命記26:1~11

新約:コリントの信徒への手紙Ⅱ8:1~15

説教:「賜物と献物」指方周平牧師(2017年7月)

 

ガリラヤ湖と死海はヨルダン川でつながっていますが、ヨルダン川に新鮮な水を注ぎ続けるガリラヤ湖とヨルダン川から注がれた水を受けるばかりの死海は、水質も環境も全く異なります。わたしは「受けるよりは与える方が幸いである」(使徒言行録20:35)とおっしゃられた主イエスの御言葉から、受けるばかりで荒涼としている死海であるよりは、与え続けるガリラヤ湖のように瑞々しくありたいと願ってきました。しかし実際にイスラエルを訪れて気付かされたのは、ガリラヤ湖も死海も主なる神によって造られた貴重な存在という事実でした。そして主なる神がその名前を置くために選ばれた(申命記26:3)聖書の舞台が「与えるか」「受けるか」の択一ではなく「与えるも受けるも」一体の存在によって成り立っている豊かさに思いを巡らせたのでした。

 

今朝の新約聖書個所においてパウロはマケドニア州をはじめ諸教会の人々の慈善の業や施しの豊かさについて証をしております。未知なる異邦に主イエスの福音を伝道してきたパウロは、困窮していたエルサレム教会を支援するために諸教会に募金を呼びかけました。ここだけを読むと、異邦人の使徒パウロと主イエスの直弟子であるエルサレムの使徒たちは、固い絆で結ばれ一致協力して主イエスを世界に証して行ったように思えます。しかし実際には、かつて熱烈な迫害者であったパウロが回心の後に主イエスの弟子たちの仲間に加わろうとエルサレム教会を訪れた時には、パウロに疑いと反感を抱いて会おうとしない者もいる有様でした。

 

ただ、今や神の愛にとらえられているパウロにとって、疲弊しているエルサレム教会に諸教会から集めた募金を届ける業は、決して上から目線の施しなどではありませんでした。これはパウロにとって主イエスに命じられた仲直り(マタイによる福音書5:24)の実践であり、異邦人教会とエルサレム教会をキリストの体としてつないでいく重要な働きでした。パウロが「施し、募金」という意味で用いたχάρις(カリス)という言葉には「恵み、恩寵」という意味もあります。パウロにとって諸教会からの献物が単なる施しや募金ではなく、実は賜物の分かち合いであり、キリストの恩寵に連なっていく手段であったことを思い起こす時、主なる神の御前にあっては「与える」も「受ける」も一体の豊かさなのだと心を開かれます。

 

わたしたちの持っている時間や財産は主なる神から貸し与えられている賜物です。互いに愛し合うことが掟である神の国においては、死海のように受けるばかりでなく、ガリラヤ湖のように注ぐばかりでもなく、受けることも差し出すことも、主なる神の恵みを共に喜び祝う(申命記26:11)ために一体です。主なる神の御前に献げられた時間や財産は減ってしまうのではなく、供えた者にとっては無くならない信仰になり、受けた者にとっては忘れられない希望になり、双方にとっていつまでも残る愛になるのです。豊かであったのに、わたしたちのために貧しくなられた主イエスの恵みを知っている(コリントの信徒への手紙Ⅱ8:9)キリスト者として、主なる神からの賜物を主なる神への献物として隣人と分かち合いながら、十字架と復活の主イエスに結び直されている永遠の命に生かされてまいりたいと祈り直すのです。

 

(2017年7月2日礼拝説教要旨)

「Encounter」Maurits Cornelis Escher 1944 Lithograph

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