説 教

説 教「大きな喜びクリスマス」 指方周平牧師 (2013.12)

招 詞 テトスへの手紙3:4~5

旧約聖書 イザヤ書9:1、5~6

新約聖書 ルカによる福音書2:1~20

 

飼い葉桶に寝かされた救い主の情景は昔から絵画や絵本のモチーフとして有名です。多くの場合、それらの背景には温かな光が射し、マリアとヨセフ、そして羊飼いや三人の博士が飼い葉桶を囲むように描かれて、和やかで幸せな雰囲気として演出されています。

 

しかし思い込みを取り除いて聖書からこの場面を思い巡らせる時、これは何と慌ただしく、寂しく、可哀想な情景かと思うのです。家で安静に過ごし、産婆さんを呼んで出産に臨めるのではなく、住民登録という皇帝の命令によって臨月の身で150キロを歩かされたマリアとヨセフ。やっと辿り着いたベツレヘムでは、人々が宿の部屋を争って出産間際になっている自分たちをどこも受け容れてくれない。とうとう外で出産してしまったにもかかわらず、産湯すらなく、救い主は取り急ぎ布にくるめられて、家畜のエサ入れである飼い葉桶にとりあえず寝かせられた状態。万全の準備で誕生を迎えられるどころか、何も整っていない、何もかもが急ごしらえで、惨めな状況です。

 

それにもかかわらず天使は、そんな状況こそ「あなたがたへのしるしである」と告げるのです。700年も待ち望まれてきた救い主が、今にも凍え死んでしまいそうな無力な赤ん坊の姿で、酷い環境にひっそり誕生されたこと、その見落とされた誕生が選ばれた立派な人にではなく、まず羊飼いたち(当時の底辺の人たちの代名詞 イザヤ書9:1参照)に知らされたことこそ、一部の義人でなく、中途半端な人も、どんな過去を持つ人であっても、全ての人をひとり残らず救い上げるという、主なる神の決心と愛のしるしでした。

 

子どもの頃は、クリスマスの音楽や飾付に接するだけで心躍ったものでしたが、大人になってみると12月は季節として暗く寒いだけでなく、何かと落ち着かない、余裕もない、そして体調を崩しやすい時期です。忙しくなると様々な感情が渦巻いてきますが、それらは、周囲に対する裁きの思いや苛立ち、意地悪で冷たい感情、自分に対する自己憐憫といったマイナス思考が圧倒的に多いことに気付かされます。そして実は、誰しもが目の前の慌ただしさや心配によってペースを崩されてイライラし、隣人に気を配れなくなりがちな時期を敢えて選ぶようにして、主なる神様からの最高の愛の贈り物である主イエスの御降誕・クリスマスが訪れることを思うのです。

 

今日、新鮮で清々しい思いや、厳粛な整った気持ちではなく、やり残したままの負い目、チクチクと苛立った気持ちを抱えたまま、何となくクリスマスを迎えてしまったという方もおられることと思いますが、世界で最初のクリスマスも、何もかもが急ごしらえで不完全な、ありのままの人間の現実に、主なる神の圧倒的な愛のしるしとして現れたことを覚えたいと思います。私たちの準備が整っていなくても、とてもふさわしいとは思えなくても、そのままの私たちの日常の只中に、主なる神の圧倒的な愛の贈り物である主イエスが生まれてくださるとは何という驚きでしょうか。私たちの身代わりになって命を与えるほどに大切にしてくださる方が、私たちと共にいてくださるという大きな喜び。その喜びが私たちから滲み出て、世界に波紋のように広まって参れますように、2000年昔の羊飼いたちが飼い葉桶の中の救い主を礼拝した後、神をあがめ、賛美しながら帰って行ったように、私たちも大きな喜びクリスマスの節目から、天に続く日常の訓練の旅路へと送り出されてまいりたいのです。

 

                  (12月22日礼拝説教要旨)