説 教「見えない事実の確認」 牧師 指方周平    (2013・9)          

旧約聖書 ヨシュア記6:1~20

 

エジプト脱出から40年。イスラエルの民は、ようやく主なる神が約束されたカナンの入口エリコに到達しましたが、彼らがカナンの地に定住するためには、先に住んでいるカナン人と戦って勝ち取っていかねばなりませんでした。エリコは単なる集落ではなく世界最古ともいわれる城塞都市で、ここに住むカナン人はイスラエルの民よりも数段進んだ文化を持ち、周辺地域との交易にも長けた強力で豊かな民族でした。エリコの堅固な城壁の中で、強力な鉄の武器を手にして戦いの備えをしているカナン人と、40年の放浪で疲れ果てたイスラエルの民との対決とは、イスラエルにとって圧倒的に不利だったのではと思います。

 

さて、40年イスラエルの民をお導きになられた主なる神は、ここで民を率いるヨシュアに向かって不思議な指示を与えられました。それは、契約の箱を先頭に6日間エリコの町の周りを11周すること、7日目には7周してしてから祭司たちに角笛を吹き鳴らさせ、イスラエルの民が勝鬨の声を上げること、そうすればエリコの城壁は崩れ去るというものでした。こうして、イスラエルの民は、主なる神の御指示に従ってエリコの周りを愚直に周り始めたのですが、ふと、城壁の周りを黙々と行進する7日間、イスラエルの人たちは何を考えていたのだろうかと思いました。

堅固な城壁を見上げて「これを超えるのは無理だ」と怖気づく人がいたかもしれません。しかし、自力では越え難い城壁の周りを黙々と歩き巡る作業とは、決して自分の弱さ、不準備、力の差ばかりを数えて、不安と不満だけを募らせる堂々巡りではなく、荒れ野の40年、日毎に養ってお導きくださった主なる神が共にいてくださることの確認、目の前の状況に圧倒されて忘れがちになっている神の恵みを静かに数え直す節目であり、この沈黙の行進は、イスラエルにとって望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認していく祈りと礼拝の時となったのではないかと思えてくるのです。

 

見えない事実を確認する7日間がエリコの城壁の周りで静かに満ち、ついに角笛が鳴らされて主なる神を賛美する感謝の勝鬨が上げられた時、人知では攻略不可能と思われたエリコの城壁はガラガラと崩れ去ったといいます。これは今も生きた主なる神の約束の型です。私たちの日常の旅路においても、あらゆる姿や状況に形を変えたエリコの拒絶の城壁を、不安におののきながら見上げさせられる時がありますが、そのような時こそ、これまでの旅路をお導きくださった主なる神の恵みを数え直し、恐れの城壁を前に見落としがちになっている見えない事実の確認をしたいのです。

 

イスラエルの歴史が、エジプト脱出でお終いではなく、そこから約束の地を目指す荒野の訓練の旅が始まったように、私たちの旅路も主イエスに出会って罪赦されてお終いではなく、今も、主イエスの御跡を辿って、神の国を目指して歩む途上にあります。そして、この道は、困難だけの道ではなく、マナが降れば水も湧く、主なる神が導いてくださる旅路であります。静かに恵みを思い巡らせてみれば、力が及ばなかった、失敗した、損をした、だまされた、裏切られたといった敗北や挫折で道が途切れてしまうのではなく、たとえ遠回りに感じられても、そこに切り拓かれた道や出会いがあったことを思い出します。主なる神は、これからも私たちと共にいて、あらゆる姿に形を変えたマナを私たちの旅路に降らせ、途切れることなく私たちをお導きくださる見えない事実を静かに再確認して、この礼拝の場から再び1週間の旅路に出発したいと思うのです。

2013.9.29説教要旨)