説教

教「沈黙による準備」指方周平牧師(2014年12月)

書 ルカによる福音書1:5~25

 

南アジアを旅された方のお話を昔聞いたことがあります。何事も段取り良く定刻通りに物事が進む日本と違い、インド、バングラディッシュでは汽車やバスが来ること、停電復旧、ストライキの解決など、何事も「待つ」煩わしさの連続だったそうです。ただ、日本の感覚が当たり前になっていたその方がこれらの国々で学んだのは、ゆっくりした時の流れの中で生きる人々の「待つ」という心の豊かさ、たくましさだったという話を今も印象深く覚えております。基本的に私たちは「待つ」ことが苦手ですが、それでも、どうにもならない状況から信じて「待つ」姿勢から、自分の思い通りにならない患難を生き抜く忍耐と練達、希望が紡ぎ出されることを思うのです。

 

今朝の聖書舞台において、祭司ザカリアという人物が神殿の奥深くで香を献げる務めをしておりますと、突然天使ガブリエルが現れて、子どものいなかったザカリア夫婦に男の子が生まれること、ヨハネと名付けられるその子が、やがて到来される救い主の働きの準備を整えるという知らせを告げました。子どものいなかった自分たちに男の子が与えられ、しかもその子がイスラエルの伝説的預言者エリヤのごとくに活躍して、何百年も待ち続けられてきた救い主の到来を人々に告げ知らせ、救い主の働きの準備をするとは、ザカリアにとってこれ以上ない驚きと喜びの約束のはずでした。しかし、ここでザカリアは自分が蓄積してきた常識や経験といった分別をハッと取り戻し「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています。」と言ってしまったのでした。これは目に見えない神からの希望の約束に対して、目に見える証拠や保障を求めてしまう人間の不安定な弱さの吐露でした。

 

これを聞いた天使はザカリアに向かって「あなたは口が利けなくなり、このことの起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである。」と宣言し、それから10か月間ザカリアは妻エリサベトが男の子を生むまでしゃべることができなくなったといいます。ザカリアにとって口が利けなくなったことは致命的な出来事でした。日常の不便はもちろん、祭司の職務規定は「障害のある者はだれでも、主に燃やしてささげる献げ物の務めをしてはならない。」(レビ2121)とはっきり記していたからです。しゃべれなくなったザカリア自身、自分が発した不用意な言葉にどれほど後悔を重ねながら、自分は再び口が利けるようになるのだろうか、これからも祭司の働きを続けられるのかと不安におののく日々を重ねたことを思います。しかし、このザカリアの待つことしかできない無力な沈黙が、救い主の誕生への序曲となった不思議を思うのです。

 

何事も効率的でテンポ良い世界に生きている私たちは、いつのまにか「待つ」ことができない忙しない歩みを重ねております。しかし主を待ち望むアドベントに際して、待つことしかできなくなったザカリアの無力な沈黙の中に洗礼者ヨハネの誕生が整えられ、このヨハネによって救い主の働きが整えられていったことを思い起こしたいのです。天地万物を創造された主なる神のご計画は壮大で、目に見える状況や数値化された力量、私たちのあやふやな自覚や身勝手な都合、後悔には全く左右されません。私たちも沈黙の中で主の約束を「待つ」という豊かでたくましい姿勢を回復させ、不完全なまま、すでに主の御用に用いられている驚きと喜びを浮き彫りにして、主イエスの来臨を待ち望んで参りたいのです。

20141214日礼拝説教要旨)


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