説 教 「祈りの衣」  指方周平牧師(2015年1月)

旧 約 サムエル記上 1:20~28

新 約 ルカによる福音書2:21~41

 

年賀状で届けられた写真や消息を11枚辿りながら、ふと思い起こしたのは、もう便りが届かなくなった方々のことでした。年頭に際し「お元気ですか。新年も祝福を祈っています」と励ましに満ちた言葉を手書きで毎年綴ってくださったあの懐かしい方々は、もうほとんどが天に召されていきました。お世話になった交わりを思い出しつつ気づかされたのは、あの方々との関係は死によって途切れてしまったのではなく、あの方々が主イエスの御名によって紡ぎ出された祈りは今も主なる神に覚えられており、あの方々が紡ぎ出されたとりなしと祝福の祈りに今も自分は包まれているという安心感でした。

 

かつて不妊に悩み苦しんでいた女性ハンナは、主なる神に願った末に男の子を授かりました。サムエルと名付けた息子をハンナがどれほど愛おしく育てたかは想像に難くありませんが、ハンナは身ごもる前に「男の子を授けてくださいますなら、その子をあなたに献げます」と誓った祈りを忘れておらず、ハンナはサムエルが乳離れすると聖所に連れて行って主なる神に仕える者として祭司に託したのでした。この後、幼子サムエルが母ハンナと会えたのは両親が聖所に礼拝に来る時だけで、この時ハンナは息子のために小さな上着を縫って毎年届けたといいます。きっとハンナは離れて暮らす息子の成長を思いながら、毎年サイズが大きくなっていく上着を作ったことでしょう。たとえ離れて暮らしていても母の祈りにいつも包まれているという見えない事実はサムエルの成長に必要不可欠で、この信頼感が後に古代イスラエルの霊的指導者として活躍していくサムエルの土台に据えられたことを思いました。

 

マリアとヨセフが幼子イエスのお宮参りにエルサレム神殿を訪れた新約聖書場面ではシメオンとアンナという年老いた2人が登場してきます。イスラエルの慰めを待ち望みつつ年老いたシメオンは境内で出会った幼子イエスを腕に抱くと主なる神を賛美して祝福し、84歳の女預言者アンナも幼子イエスに近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々に幼子のことを話したといいます。このように生まれて間もない幼子イエスは、初めて連れて来られたエルサレム神殿で、主なる神の慰めと救いを待ち望んできた2人の老人からその誕生を大いに祝福されたのでした。これから約30年後、主イエスが神の国の訪れを宣べ伝える公生涯に出発された時、シメオンもアンナもすでにこの世にいなかったことを思います。しかし生まれたばかりで、まだ何もなしていない救い主に出会ったことを大いに喜んで主なる神を賛美した彼らは、待ち望んできた慰め、この幼子によって与えられる救いを先取りして確信しており、この後、主イエスが成長されていく過程において、シメオンとアンナの紡ぎ出した祈りは、彼らが召されてなお、いつまでも主イエスの公生涯に響き渡っていたことを思うのです。

 

幼くして覚えていないだけで、あるいは気付かなかっただけで、この自分のために、これまでどれだけのとりなしの祈りが紡ぎ出されてきたことでしょうか。そして今、私たちが紡ぎ出している祈りはシメオンやアンナ、ハンナのように人を包み、未来を待ち望む祈りになっているかと思わされるのです。幾重にも祈りの衣を着せられて育てられてきた者として、私たちもまた、祈りによって隣人を包んでいくこと、神の御心がなる世界を待ち望み、神の国を目指して歩んでいくことを浮き彫りにして、新しい年も共に主イエスの御跡を辿って参りたいのです。

 

(201514日礼拝説教要旨)