説 教

 

説 教 「神からの真理」  指方周平牧師  (2014年7月)

聖 書 列王記上10:1~9  

 

 紀元前10世紀、イスラエル統一王国の偉大な王であったダビデの後、壮絶な跡目争いを勝ち抜いて王位に就いたのはソロモンでした。即位して間もないソロモンは、夢の中で「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」とおっしゃられた主なる神に「わたしは取るに足らない若者で、どのようにふるまうべきかを知りません。どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。」(列王記上379)と「知恵に満ちた賢明な心」(同312)を求めました。

それから間もなく2人の女性が1人の赤ん坊を抱えてソロモンの前にやってきました。彼女たちの訴えは、1人の赤ん坊を巡って、どちらが本当の母親か認定を求めるものでした。ソロモンが剣を持ってきて赤ん坊を2つに切り分けるように命令した時「王様、お願いです。この子を生かしたままこの人にあげてください。この子を絶対に殺さないでください」と叫んだ方が本当の母親であると認定したソロモンの裁定は、イスラエルの人々が新しい王を畏れ敬い、その知恵を内外に轟かせるきっかけとなりました。

 

今朝の聖書舞台は、そんなソロモンが、南の国からやって来たシェバの女王によって知恵を試される場面で、女王は考えておいた質問をすべてソロモンにぶつけました。きっと、あらかじめシェバの賢者たちによって練られたひっかけ問題や、白黒二者択一では答えようのない複雑な問題も多々あったことを思うのですが、それらの質問を受けたソロモンは、そのすべてに見事な解答を与え、ソロモンに分からないこと、答えられないことは何一つなかったといいます。

 

この聖書箇所を思い巡らせる中で示されたのは、いわゆる「ソロモンの知恵」とは、図書館やパソコンがあれば事足りるような蓄積されたデータや膨大な記憶力のようなものではなく、類まれな判断力であったということです。そしてソロモンが下したあらゆる判断や決断の基準は、自分の小さな経験や知識、こだわりや思い込み、損得勘定や周囲の顔色をうかがうことなどではなく、自分が遭遇するあらゆる事態にあって、それが天地万物を創造し、支配しておられる主なる神の御心にかなっているか否かという基準、御心に聞く柔軟にして自由、かつ芯のある姿勢にありました。

 

私たちが努力によって獲得した知識や技術、生まれながら与えられた健康や才能は、一時の歩みを便利にはしてくれるかもしれませんが、維持したいと素朴に願っても、やがては朽ちていくものがほとんどであり、一度しかない人生の旅路の方向を決定づけるものではありません。

私たちの歩幅は小さくたどたどしいものであったとしても、その歩みは、どこを目指し、あらゆる局面にあって何を判断の基準としているのかを思い巡らせます。ソロモンの時代から約1000年。主イエスは「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」(ヨハネ832)と教えてくださいました。この真理とは、主イエスご自身です。今、自分は、天地万物をよきものとして創造し、御子イエスの命をも与えるほどに世を愛してくださっている主なる神の御心を判断の基準とし、主なる御心に適った生き様を実際に示してくださった主イエスの御跡をきちんと辿っているか。今週も、自分の立ち位置や判断の基準を、神様からの手紙である聖書に絶えず訊きつつ、神様への手紙である祈りを忘れずに携えて、神の国を目指す1週間の旅路へ送り出されて参りたいのです。

2014727日礼拝説教要旨)