説 教 「天の門」指方周平牧師(2015年11月)

聖 書 ヨハネの黙示録21:9~27

 

イギリスの牧師ジョン・バニヤン(1628~1688)は、キリスト者の信仰生活を天の国を目指す旅にたとえて「天路歴程」という物語を記しました。主人公クリスチャンは「破滅」という名の町を脱出して天の国を目指す旅に出発したのですが、その途上では良い出会いばかりでなく言葉巧みに道を迷わせようとする誘惑や悪影響をもたらす人物との出会いも訪れました。また天の国への旅路は歩きやすい道ばかりではなく、足をとられる失望の沼や登り難い困難の丘、足のすくむ死の影の谷や疑いの城など試練の関門も次々と現れ、時には怪物に姿を変えた絶望と戦うことさえありました。しかし途中で脱落する者も少なくない細い旅路を、希望を失うことなく最後まで歩み抜いたクリスチャンは、ついに天の国へ到達したのでした。

 

先月は神の国の「状態」について思いを巡らせましたが、ヨハネによる黙示録には、やがて来たる「場所」としての天の都の姿が詳細に記されています。使徒ヨハネがパトモス島で見た幻の記述によりますと、主なる神の栄光が一日中照り輝いているという天の都は、一辺が約2,220kmから成る正方形をしており、12層の宝石によって土台が形作られた高さ約72mの碧玉の城壁で囲まれているといいます。城壁の東西南北には3つずつ計12個の門があり、その門の土台には12人の天使がいてイスラエル12部族の名前が刻まれているといいます。そして、これら12の門は、それぞれ1個の真珠でできていたといいます。

 

私は天の門が真珠でできていたというヨハネの黙示録の神秘的な記述に慰めと励ましを感じます。それは誰もが忘れたい記憶だけをパソコンデータのように消去することができず、車を修理するように故障部品を取り換えることもできず、望まずして抱え込むことになった真珠貝のような痛みをいくつも知っているからかもしれません。ハンセン病療養所沖縄愛楽園の基礎を作った青木恵哉(1893~1969)という伝道者は「痛み経て真珠となりし貝の春」という感銘深い歌を残しています。私たちが天の国を待ち望みつつ主イエスの御跡を辿り始める時、どうしても吐き出せなかった辛さや疼きさえも、十字架の痛みを知っている主イエスによって、主なる神の似姿へと回復させられていくための核として用いられることを思い起こします。

 

私たちの生涯の目的は、何もかも自分の納得がいくように自己完結させながら地上を生きることではなく、神の愛に包まれて、死で終わりではない永遠の命を生きることにあります。私たちは主イエスに救われ、永遠の命を約束されてなお、地上の訓練の旅路にあっては迷う時も転ぶ時もありますが、主なる神が導かれる旅路の出会いや出来事に無意味なものは何ひとつありません。先に眠りにつかれた懐かしい方々も、吐き出せなかった痛みをいくつも抱え込んだまま、それでも希望を失わないで主イエスの御跡を歩み抜かれたことを思い起こします。それに続く私たちも、十字架の絶望の死から体をもって復活された主イエスが、いつでもどこでも共におられることを思い起こし、天の国を待ち望みつつ主イエスの御跡を辿って参りたいのです。

(2015年11月1日 永眠者記念礼拝 説教要旨)

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   日本キリスト教団

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