聖 書: テモテへの手紙Ⅱ 1:9~10

説 教:「十字架の橋」指方周平牧師(2017年1月)

 

「神がわたしたちを救い、聖なる招きによって呼び出してくださったのは、わたしたちの行いによるのではなく、御自身の計画と恵みによるのです。この恵みは、永遠の昔にキリスト・イエスにおいてわたしたちのために与えられ、今や、わたしたちの救い主キリスト・イエスの出現によって明らかにされたものです。キリストは死を滅ぼし、福音を通して不滅の命を現してくださいました。」

 

私が子ども時代を過ごした四国の町の小学校からは瀬戸内海を挟んだ対岸に本州が見えていました。当時、近くでは四国と本州を氷河期以来1万数千年ぶりに地続きに結ぶ瀬戸大橋の工事も行われておりました。自分の住んでいる小さな町で世界一の橋が作られていることは子ども心に誇らしいことでした。そして橋が完成し、いつか対岸に渡った暁には、輝かしい未来と無限の世界が広がっていると素直に信じていました。

 

瀬戸内海への架橋は19世紀末には提唱されていたそうですが、夢物語のように思われていた大工事が現実に起工されたのは、ある出来事がきっかけだったといいます。それは濃霧の瀬戸内海で連絡船が沈没した1955年の海難事故でした。自分と同じ年頃だった子どもたち100名が楽しい修学旅行の最中に遭難し亡くなってしまったという悲劇。この犠牲を土台に開始された壮大な架橋工事現場を見ながら育った事実は、私にとって人生の基礎形成期における原点の出来事であると同時に、やがて主イエスの聖なる招きに心を開かれていく鍵となりました。

 

世界を創られた神さまの御手によって、神さまのご自身の姿に似せて造られた全ての人間は、関心の有無に左右されない存在の根源において万物の源である神さまを慕い求め続け、神さまの御許にたどり着く方法を探してきました。ただ、人間と神さまとの間には、どんなに頑張っても人間の力では越えられない「罪」という名の断絶があるのです。人間を愛してやまない神さまは、人間がこの絶海を乗り越えられるようにと、かつて一部の選ばれた人々(ユダヤ人)に懇切丁寧な舟の設計図(律法)を与えてくださいました。しかし人間は、神さまの御許に渡ることができなかったのです。

 

「罪」の波に飲み込まれた人間には死が定められていますが、そんな人間を憐れに思われた神さまは、主イエスという人間となられてこの世界に来られ、設計図通りには舟を完成させることのできなかった人間に代わって、自らが犠牲となられて「十字架」という唯一の橋を架けてくださいました。神さまからの手紙である聖書は「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」と約束しています。神さまと人間を結び直したこの橋を渡るために、今や特別な資格は必要ありません。ただ主イエスを信じ、救い主と告白するだけで、永遠の命の対岸にたどり着ける恵みの架け橋を渡るようにと、あなたも神さまに招かれているのです。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/28/JP-Kagawa-Great-Seto-Bridge-Minami_Bisan-Seto-Bridge.jpg より転載