招 詞: ルカによる福音書17:21

旧 約: イザヤ書52:13~15

新 約: ヨハネによる福音書1:14

説 教:「わたしたちの間に宿られた神」指方周平牧師(2017年12月)

 

振り返れば2017年も隣人との間柄に生かされた日々でした。どなたも軽やかなつながりばかりではなく、ずっしりした関係をも抱え込んで過ごされたことでしょう。人間に限らず世間でも、アメリカのトランプ大統領がエルサレム首都宣言によってパレスチナとイスラエルの間にある虎の尾を踏んで混乱に輪をかけてしまいました。あまりにも複雑で手に余り、当事者の思いや力で回復不可能になった状態は、まさに人間の罪そのものです。

 

さて約2000年昔、待ち望まれ続けてきた救い主は、神の御子に見合う神殿や王にふさわしい宮殿ではなく、およそ人が産まれる場とは言えない所へひっそりお生まれになりました。松尾芭蕉は「蚤 虱 馬が尿する枕もと」と詠みましたが、真夜中の不衛生な小屋に生まれ落ちられた救い主は、取り敢えず家畜の餌入れである飼葉桶に寝かされたのでした。あまりにも慌ただしく可哀そうな状況です。しかし、救い主の誕生を告げ知らせた天使は、それこそが「あなたがたへのしるしである」と宣言したのでした。

 

神の「言は肉となって、わたしたちの間に宿られ」ました。そして約30年後、この救い主は「神の国はあなたがたの間にあるのだ」と啓示してくださいました。それは、まさに「だれも物語らなかったこと、一度も聞かされなかったこと」でした。人が好んでは選ばない悲惨な状況にお生まれくださった事実をわたしたちへのしるしとされた救い主は、当事者さえ近づくことを厭う闇のような人の間・世の間に宿ってくださったのです。

 

神さまと人の間にある罪の断絶を十字架によって結び、人と人の間に神の国を実現するために、わたしたちの間に宿られた救い主は、その名をインマヌエル(神は我々と共におられる)といいます。「恵みと真理」に満ちた栄光の事実は、わたしたちのあやふやな自覚や身勝手な都合には一切左右されません。「神にできないことは何一つない」のです。神さまが人間になってまでわたしたちに啓示してくださった「神の国」とは絵に描いた餅ではなく、わたしたちの間に宿られた十字架と復活の主イエスを共に仰ぎ、主イエスがわたしたちを愛してくださったように、わたしたちも互いに愛し合う事実によって、わたしたちの間に造り上げられていくのです。

 

(2017年12月24日クリスマス礼拝説教要旨)

Lucas Cranach, Luther preaching Christ: Wittenberg, St. Mary's Church, 1547.