聖 書: テモテへの手紙Ⅱ3:14~16 指方周平(2018年12月)

黙 想:「キリストの言葉を聞くことによって始まる」

 

「だがあなたは、自分が学んで確信したことから離れてはなりません。あなたは、それをだれから学んだかを知っており、また、自分が幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです。この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。こうして、神に仕える人は、どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられるのです。」(テモテへの手紙Ⅱ3:14~16)

 

学生時代、出席していた興戸キリスト教会に下川友也という牧師が来られました。一度限りの出会いでしたが、聖書を教える神学校教師でありながら、一人のキリスト者として生涯聖書通読千回を志し、片時も聖書を離さないという真摯な姿勢は、私に強烈な影響を与えました。肉体の維持に食事を欠かさないように、あの出会い以来、日毎の聖書通読を途切れさせていない事実は、私自身の気助けになっています。

ただ、この通読がマンネリズムに陥っていないか、と思う時がないわけではありません。聖書の内容には詳しかったけれども御言葉に従う生き方がおざなりで、主イエスに忌み嫌われたファリサイ派の人々の愚に陥っていないかと、様々な状況の中で問われ直すことも多々あるのです。

今、年の狭間にあって、過ぎ行く年の歩みを振り返っています。「御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません」(ヤコブの手紙1:22)との聖書箇所に自分の生き方を照らし合せては、御言葉を行うどころか聞き流すことの多かった怠惰を数え直させられる思いがしています。

しかし、まもなく始まる新しい年をどう生きるのかと思いを巡らせる時、そんな自分であっても、神さまからの手紙である聖書は何と語っているか、やはり御言葉に聞くことから始めたいと願うのです。「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。」(ローマの信徒への手紙10:17)

新しい年にも、準備が整っていない部分を試される事態があるかもしれません。ただ、この地上の生活は天国への訓練の旅路なのですから、途上が良くても悪くても、人生の地図である聖書に立ち帰ることだけは遠慮せず、御言葉に聞き従うことを一日一年と積み重ねて、キリストに似た者へとつくりかえられていく一生を、聖霊に導かれて最期まで生きて行きたいと、年の節目に祈りを新たにせずにはいられないのです。

(2018年12月29日)

林竹治郎「朝の祈り」1904年 北海道立美術館所蔵

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   日本キリスト教団

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