招 詞:ローマの信徒への手紙10:8

旧 約:申命記6:10~19

新 約:ルカによる福音書4:1~13

説 教:「御言葉に従う」 指方周平(2019年3月)

 

聖書は、荒れ野の中を"霊"によって引き回され、40日間、悪魔から誘惑を受けられた主イエスが、その間、何も食べず、その期間が終わると、私たちと同じように空腹を覚えられたと伝えています。聖書は「この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです」と証言していますが、これが受肉の神秘です。主イエスは、心は神さまのまま、体だけが人間になられたのではありません。人間を救うために人間となられた主イエスは、人の憂い、生きる悩みを、自らの心身で、ことごとく味わわれたのでした。

 

いつでも隙間に付け込んでくる悪魔は「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ」と言って空腹の主イエスを試みました。しかし主イエスは申命記8:3を引用して「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになられました。次に悪魔は主イエスに世界のすべての国々を見せて「もし私を拝むなら、みんなあなたのものになる」と主イエスを惑わしましたが、主イエスは申命記6:13を引用して「『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある」とお答えになられました。三度目に悪魔は主イエスを高い神殿の屋根の端に立たせ「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ」と自らも詩編91:11~12を利用して「『神はあなたのために天使たちに命じて、あなたをしっかり守らせる』また『あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える』」と主イエスを唆しましたが、主イエスは申命記6:16を引いて「『あなたの神である主を試してはならない』と言われている」とお答えになって悪魔を退けられたのでした。

 

この聖書箇所を辿り直す中、次第に浮き彫りにされてきたのは、主イエスが「~と書いてある」「~と書いてある」「~と言われている」とおっしゃって、どこまでも聖書の御言葉を根拠とされた事実でした。ファリサイ派の人々や律法学者のように聖書を暗記するほどに知っていても、それだけでは不十分です。聖書を自在に引用できるとしても、悪魔さえ聖書を恣意的に利用したことを思えば、それは主の名をみだりに唱える冒涜につながりかねません。聖書を知っている、聖書を利用する、ではなく、御言葉に従う事実にこそ道があり、真理があり、命があるのです。

 

私たちが頑張って神さまにしがみついているのではなく、神さまでありながら人間となられた主イエスが、頑張れなかった私たちをつかまえてくださった真実が救いです。そして、神の言葉を武器にして悪魔を退けられた主イエスは、救われた後も、あらゆる試練の中で生きている私たちが、神さまの御言葉に従って生きる模範をお示しくださいました。主イエスは「わたしにつながっていなさい」とおっしゃられましたが、それは神さまの御言葉に留まること、神さまの御言葉に従うことです。救われっぱなしで終わりでなく、神さまの御言葉に従ってこそ、私たちをご自身の命に結んでくださった主イエスご自身が、私たちに道を備え、幸いを得させ、豊かな実を結ばせてくださるのです。

 

(2019年3月10日礼拝説教要旨)

The William And Eileen Ruddock Gallery所蔵

「霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい」(エフェソの信徒への手紙6:17)

 

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   日本キリスト教団

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