聖書:出エジプト記2:1~10

説教「この祈りに先んじて」指方周平牧師

 

エジプトに寄留するイスラエル人の著しい人口増加に脅威を覚えたファラオは、イスラエル人(ヘブライ人)の女性が出産する時、女の子は生かし男の子はナイル川に放り込んで殺せという恐るべき命令を下しました。そんな過酷な時代、あるイスラエル人の夫婦に男の子が生まれました。生後3か月になった時、もう隠しきれないと思った母は、この子を防水加工したパピルスの籠に入れてナイル河畔の葦の茂みの間に置いたのですが、それは水浴びに来たファラオの王女によってたちまち見つけられてしまったのでした。しかし籠の中で泣いている子を見て「これは、きっと、ヘブライ人の子です」と事情を察した王女はふびんに思い、実の母を乳母に任じて自分の子とし、モーセと名付けたのでした。これから80年後、モーセは男性だけで60万人というイスラエルの人々を連れて奴隷の地エジプトを脱出し、約束の地カナンを目指す40年の荒野の旅において、イスラエルの人々を主なる神さまの約束の民として整えて行くことになります。


後世において律法の代名詞とまで称されるモーセの名前は聖書に800回以上も登場しますが、ほとんど知られていないモーセの母・ヨケベドの名前は2回(出6:20、民26:59)しか記述されていません。モーセが80歳で出エジプトを率いた時、ヨケベドはおそらくこの世にいなかったと思われますし、モーセは40歳の時に殺人を犯して逃亡し40年にわたって潜伏生活をしておりましたから、ヨケベドが最期に耳にした息子の消息は行方不明というようなことだったかもしれません。 

 

しかし、全ての結果は見届けられなかったであろうヨケベドの存在なくして、偉大なモーセも壮大な出エジプトも無かったことを想うのです。小さな息子を納めた籠を、世界一の長流の畔に浮かべた時、万全には程遠いこの救命策に、ヨケベドがどれだけの祈りを込めたことでしょうか。そして、この籠の中に、主なる神さまの遠大なご計画が秘められているなど、きっとヨケベドには思いも寄らなかったことでしょう。

 

今、あなたは、どのような状況に置かれているのでしょうか。それは河畔の葦の茂みの間に似た憂鬱かもしれません。真剣だからこそ悲観の予想からなかなか自由になれない私たちです。しかし私たちを造り、主イエスを与えるまでに愛してくださっている主なる神さまがなさることは、私たちの思いを高く超えているのです。今はまだ分からなくても、十字架の死からも永遠の命を紡ぎ出される主なる神さまへの一粒ほどの信仰があればそれで十分です。まだ時が満ちていないだけで、今、必死に編み出されているあなたの祈りに先んじて、主なる神さまは、どれほどすばらしい平和の計画、将来と希望をあなたに用意しておられることでしょうか。


(2019年11月17日降誕前第6主日礼拝)

 Moses in the Bulrushes Keith Newton 1999 (以下より画像転載)

https://www.christcenteredmall.com/stores/art/newton/moses-in-the-bulrushes.htm