※今月は説教要旨ではありません。

 

「神に従う人の結ぶ実は命の木となる」 

 

耳ある者は、"霊"が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者には、神の楽園にある命の木の実を食べさせよう。 (ヨハネの黙示録2:7)

川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実をみのらせる。そして、その木の葉は諸国の民の病を治す。
                    (ヨハネの黙示録22:2)

命の木に対する権利を与えられ、門を通って都に入れるように、自分の衣を洗い清める者は幸いである。                      (ヨハネの黙示録22:14)

 

私がB教会の牧師に赴任した時、隣のC伝道所におられたのがA牧師でした。長距離トラック運転手をされながら日曜日にはご自宅で開拓伝道に励んでこられたのでしたが、早くに奥様を亡くされ、再婚した奥様も亡くされ、お子様方が独立されてからは長い間、お1人で礼拝を守られることがほとんどだったといいます。

 

普段は寡黙なA牧師でしたが、隔月開催だったD地区教師会での開会礼拝当番が回ってくる度に「聖霊、来てください!聖霊、来てください!聖霊、来てください!」と絶叫の祈りをされました。そして毎回、ヨハネの黙示録22章から「命の木」について説教をされました。出口の見えない堂々巡りの説教で、後に様々な議事を控えている教師会の席には「ああ、またか…」といわんばかりの雰囲気が漂いました。今にして思えば、あの頃のA牧師にはすでに認知症の症状があったのかもしれません。

 

数年後、一人暮らしができなくなったA牧師は、遠方のご子息に引き取られることになりました。それに伴い、ご自宅を兼ねていたC伝道所は閉所されることになりました。閉所式の日、C伝道所に早く到着した私は、礼拝堂として用いられてきた部屋の最前列に、正装されたA牧師がぽつんと座っておられるのを見ました。それは人が集まっても集まらなくても、決して礼拝を途切れさせなかった牧師の厳かな姿でした。その席で、ボロボロと涙をこぼしておられた後ろ姿が忘れられません。あの礼拝がA牧師とご一緒したこの世での最期でした。

 

数年前の教団新報で、A牧師が亡くなられたことを知りました。20代の私が出会った70代のA牧師は、自らを献げきった長年の伝道牧会によって疲れ果てておられました。しかし私は今も聖書通読で旧新約66巻の最終章ヨハネの黙示録22章に到達する度に「命の木」について同じ説教を繰り返されたA牧師を懐かしく思い出します。そしてA牧師が、どんな時にも伝え続けたかった、最期まで忘れたくなかった「命」の福音を、私自身の初心に立ち返って想い巡らせるのです。

 

2020年1月16日「聖書の集い」ヨハネの黙示録(よもやま話)に加筆