説教「すべての人々に救いをもたらす神の恵み」

聖書 ルカによる福音書2:1~20

 

15年前の12月24日クリスマスイブに、当時私が仕えていた教会の教会員のご家族が亡くなりました。

その3日前の朝、彼女は突然ご自宅で肺栓塞を起こされて呼吸ができなくなり、病院に救急搬送されていたのでしたが、意識が戻らないまま46年の生涯が閉じられたのでした。

思春期に心の病を発症した彼女は、人には理解されがたい生き辛さを背負い続けておりましたが、自己決定では選ぶことのできなかったいのちの重みによって濾過されたその内側は、幼子のような素直さ、繊細な美しさに満ちており、犯罪のニュースを聞いては自分と関わりのあることのように心を痛め、実験動物の実態に苦しみ、毎年の母の日や、お母さんの誕生日には「お母さん、ありがとう」というカードを欠かさない優しい方でした。

小さい頃に教会学校で覚えた子ども讃美歌を家でもよく口ずさみ、キリスト教のラジオ放送を通して礼拝を守り続け、そして平日、誰もいない礼拝堂にひとりでやってこられては、長い時間、彼女と神さまにしか分からない言葉で、祈りを献げておられました。

病のゆえ、言葉による信仰告白・洗礼には至れませんでしたが、その祈る後姿は、まるで故郷に帰りたくとも帰れない人が、故郷をどこまでも懐かしく恋い偲ぶかのようでもあり、連なりたくとも連なれない教会に憧れ続け、天国に憧れ続け、言葉では自分を表現できないもどかしさや悔しさを乗り越えたところに積み立てられた、主なる神のみがご存じの姿勢、全生涯を針の穴に通すかのような集中力で祈り続けておられました。

貪欲なまでに効率やスピードを追求し、不完全を許容しない時代は、彼女のように不器用な人には住みにくい時代だったと思いますし、彼女の純粋さには不似合いだったとも思いますが、彼女は、自分の背負う生き辛さを何かのせいにすることなく、すべてを主なる神から与えられるものとして、日々、淡々とすべてを受けておられるようでした。

 

そんな彼女が、どこにも受け入れられないまま、何も整わない状況に、ひっそりとこの世にお生まれになった救い主を礼拝する節目に亡くなった事実に、私は「おことばどおり、この身になりますように」と戸惑いながらも告白したマリアの信仰が彼女に重なり、自分の子ではない子を妊娠したいいなづけを守ろうと葛藤したヨセフの誠実さが彼女に重なり、安息日を守れぬ罪人と軽蔑されていた羊飼いに真っ先に救い主の誕生が知らされた事実が彼女に重なり、はるばる東方から救い主を礼拝するために旅をしてきた博士たちの献身が彼女に重なりました。

主なる神からのメッセージが、クリスマスイブに亡くなった彼女の死に、全て込められているような気さえしたのでありました。

 

人は誰でも、自分を高めようとし、それによって自分の存在の価値を確認しようとし、またそのための努力が賞賛されるこの世にあって、一方では低められ、卑しめられ、自分の存在を見失う人もいます。

しかしキリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。

それは、低められた一人一人を神の子の尊厳で満たすためでした。※

救い主は、クリスマスイブに亡くなった彼女のため、皆様お一人お一人のため、実に、すべての人々に救いをもたらすために、人となって世に降り、私たちの間に宿られたのです。

 

救い主は、ご降誕から遡ること700年以上昔イザヤによって預言されていた名をインマヌエルとも言い、その意味は「神は我々と共におられる」といいます。

私たちの内側がどんな状態であろうと、私たちの外側がどんな状況であろうと、私たちが豊かな実を結ぶため、まことの命へと接ぎ木するために、飼い葉桶にお生まれくださった主イエスは、世の終わりまで私たちと共におられるのであり、この事実は、私たちの追いつかない理解や定まらない状況には一切左右されません。

私たちが頑張って主なる神のもとにたどり着いたのではなく、頑張ってもたどり着けなかった私たちのところに、主なる神が人となってお越しくださった恵みを想起するクリスマスは、主が私たちのもとに再び来られる、その日、その時を想起する未来への起点でもあります。

その起点に際し、父なる神が、御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るために、その独り子をお与えになったほどに、世を、私たちを愛されている事実を思い巡らせ、心に納め、私たちの内側に由来しない聖霊の力を注がれて、それぞれが遣わされております現場、神の似姿へと整えられていく生活の現場へと、神をあがめ、賛美しながら、送り出されてまいりたいのであります。

 

(2022年12月25日 クリスマス礼拝説教)

 

『あなたはひとりではない 366日元気が出る聖書のことば』(岩本遠億著 2020年ヨベル刊)335頁参照