聖 書   ヨハネによる福音書1:1~14

説 教「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」

 

クリスマス、おめでとうございます。1年前には名前も知らなかった新型コロナウイルスによって、計画の変更、延期、中止が相次ぎ、生活習慣や、人との関り方さえも変化した戸惑いの2020年でした。新型コロナウイルスがもたらした非日常は、普段、私たちが、自分の外側へ意識や力を向けることで、敢えて触れないよう、見ないように避けてきた問題や隣人と向き合う機会にもなり、その中で、自らの無力さを思い知らされるもどかしさ、誰にも代わってもらえない孤独、どうしたらいいのかわからない混乱など、蓋をしてきた暗闇の深さも次々と私たちの只中に、私たちの間に浮き彫りにしていったように思います。しかし、そんな1年の終わりに、変わることなく巡ってきたクリスマスに、人間を照らす光・主イエスが、いつでも、どこでも、世の終わりまで私たちと共におられるインマヌエル(マタイによる福音書1:23)の事実を、改めて思い起こすのであります。

 

ヨハネによる福音書には、マタイやルカによる福音書のような主イエス生誕の描写はありませんが、その書き出しにおいて、主イエスを「言」と言い換えて「初めに言があった.言は神と共にあった.言は神であった.この言は、初めに神と共にあった.万物は言によって成った.成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった.言の内に命があった」と、端的に主イエスを証ししています。そして「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」と、クリスマスの本質を伝えています。神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられた主イエスは(フィリピの信徒への手紙2:6)、これから約30年後「神の国はあなたがたの間にあるのだ」(ルカによる福音書17:21)と私たちに啓示してくださいました。実に主イエスは、当事者さえ近づくことができなくなった、私たちの暗闇のような現実、人の間・世の間に宿って、人間を照らす命の光をもたらし、私たちに神の国での生き方を示してくださったのでありました。

 

救い主誕生の目的は、創造主である神と罪人である人間との和解のためでありましたが、そもそも和解とは、関係破綻や問題の原因となった者から折れて、非を詫びて、ひれ伏すのが筋でありましょう。しかし、主なる神は、罪人である人間が死に滅びるのを見るに忍び絶えず、ご自身の方から先んじて御子を救い主として遣わし、悔い改めるに悔改めることができないほど、罪に硬直している人間に、熱意(イザヤ書9:6)をもって和解の手を差し伸べてくださったのでした。主なる神の許しの愛と、主なる神の義の裁きという、決して相容れない矛盾が、主なる神の熱意によって交差し、成し遂げられたのが主イエスの十字架であり、私たちは、人間の常識ではありえない、よくよく考えれば理解もできない、この主イエスの十字架の圧倒的な愛と真実の犠牲によって、今、神との和解に生かされ、立てられ支えられている事実を忘れてはなりません。そして、私たちの日常生活の中で、苦いパン種となっている、闇をもたらすような存在に思える、あの人のためにも主イエスが十字架にかかられたこと、今更、関係修復は不可能と思える、あの人との間にも共におられる主イエスを見落としてはなりません。

 

肉体の制限にある私たちは、今はまだ、主イエスを目で見ることはできず、耳で御声を聞くこともできませんが、私たちの感覚や都合に関係なく、インマヌエルの主イエスは、いつでも、どこでも、世の終わりまで、私たちと共におられ、聖書によって、私たちがなすべきこと、語るべきことを示し、聖霊によって導いてくださっています。

今朝の聖書箇所は「言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた」(ヨハネによる福音書1:12)と証言し、主イエスは「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイによる福音書5:9)と宣言されましたが、私たちは、イエスを主と信じ告白した神の子として、平和を実現するため、主イエスの御言葉に聴き従う生き方によって、私たちの間に宿られた主イエスを証しするためにも、神の霊を分け与えていただきました(Ⅰヨハネの手紙4:13)。新型コロナウイルスに翻弄された1年の終わりに巡ってきた、このクリスマス礼拝の朝、解決不可能に思える関係や、窒息しそうな暗闇の深さばかりが増していくようだった試練の中にも、主イエスは光を照らしてくださるという希望を、携え直したいと思います。そして、このクリスマス礼拝から「互いに愛し合いなさい」との主イエスの掟に生きる者、平和を造り出すため、言葉によらずして生き方によって、私たちの内に宿っておられる主イエスを証しする神の子として、主イエスと共に、遣わされている人の間・世の間を歩んでまいりたいと祈り直したいのであります。

 

(2020年12月20日クリスマス礼拝)