招詞 ヨハネの黙示録21:24~26

旧約 イザヤ書49:7~13

新約 マタイによる福音書2:1~12

説教 「主の慈しみに生きる人の集い」

 

主イエスがユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、占星術の学者たちが礼拝するために東の方からユダヤにやって来ました。旧約聖書の申命記(4:19)において占星術は忌むべき行為とされていましたが、その占星術を生業にする学者たち、すなわちユダヤ人から侮られ、忌むべき者とされていた(イザヤ書49:7)異教徒が、ユダヤ人だけでなく、全ての人の救い主としてお生まれになった主イエスを礼拝するために、主イエスを示す星に導かれてやってきたのでした。しかし主イエスは、王に相応しい王宮や、神の御子に相応しい神殿ではなく、飼い葉桶の中という見落とされた状況にお生まれになられましたので、目当てを失ってしまった占星術の学者たちは、エルサレムにおいて「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」と尋ね回らなければなりませんでした。


これを聞いて不安を抱いたのは、自分の地位を脅かす存在を排除するためには、妻や息子さえ処刑することを厭わなかったヘロデ王で、その病的なまでの猜疑心を知っているエルサレムの住人たちも悪いことが起こるのではと恐れを抱きました。ヘロデ王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、救い主がどこに生まれることになっているのかを問いただしたところ、彼らは旧約聖書のミカ書にある預言(5:1)より「ユダヤのベツレヘムです」と答えましたので、ヘロデ王は占星術の学者たちをひそかに呼び寄せると「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ.わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムに送り出しました。これは、拝むためではなく、探し出して殺すためです。占星術の学者たちは利用されている自覚もないまま、狡猾なヘロデ王によって、救い主を暗殺するための偵察隊にされてしまったのです。

 

そんな悪だくみなど知らない占星術の学者たちが、ヘロデ王に送り出されると、東の方で見た星が先立って進み、ついに主イエスのおられる場所の上に止まりました。そして家に入ってみると、そこに捜し求めた主イエスは母マリアと共におられたので、彼らはひれ伏して主イエスを拝み、宝の箱を開けて黄金、乳香、没薬を献げ、全ての人を救うためにお生まれになったキリストを礼拝・Christ-massしたのでした。この世界で最初のChristmasの後、占星術の学者たちは約束通りヘロデ王に主イエスの居場所を知らせようとしたことでしょう。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、占星術の学者たちは、もうヘロデ王に会うことはせず、別の道を通って自分たちの国へ帰って行ったといいます。

 

私たちの歩みには、自らの思い込みによって行き詰まる時、状況に惑わされて目的を見失う時、自覚ないまま周囲の企みに利用されようとする時、これまでの経験が通用しない時、これからの予想もつかない時、思いも寄らないあらゆる時が待ち受けています。しかし占星術の学者たちが、主イエスへの礼拝を経て、ヘロデ王の悪だくみから守られ、別の道を通って帰って行ったという今日の聖書箇所から、私たちにも、キリストへの礼拝を終点、キリストへの礼拝を起点として、天に続く新しい道が、どんな時にも備えられていることを思い巡らせました。

 

今朝は、クリスマスと新年の間にあって、主の年2021年最後の主日礼拝、そして降誕節第1主日の礼拝となりました。竹が節目をもって天にまっすぐ伸びて行くように、私たちキリスト者の信仰生活は、キリストの御許に立ち帰る礼拝、キリストの御許から送りだされる礼拝を節目として重ねられて行く神の国への旅路です。順調な時だけでなく、行き詰まった時、迷った時も、御心に適った命の道に立ち帰らせてください、御心に適った命の道へとお導きくださいと祈りつつ、キリストを礼拝する節目から、新しく送り出されてまいりたいのであります。

 

説教後の祈祷

主イエス・キリストの父なる神さま、御名が聖とされますように。天において御心が行われておりますように、私たちの間に御国が来ますように。主の年2021年最後の主日礼拝、そして降誕節第1主日の礼拝の節目に、私たちを御前に集めていただき、感謝します。かつてユダヤ人が自分たちと異邦人を区別したように、今も世界中であらゆる線引きがなされておりますが、教会はキリストの体であり、主の慈しみに生きる人の集いです。キリストを礼拝する、分け隔てない祈りと讃美、悔改めと献身の交わりに招いてくださった恵みを感謝します。星の光のように暗闇の中でしか見えずとも消えない光、細くとも途切れない命の道を私たちが自分の思い込みや置かれた状況に惑わされて、見失うことがありませんよう、どうか、霊と真理をもってまことの礼拝をささげる群れとして、私たちを育て、主の御用に用い、御心へとお導きください。全ての人を救うためにお生まれになった主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

(2021年12月26日 降誕節第1主日礼拝)