説教   世の罪を取り除く神の小羊

聖書 ヨハネによる福音書1:29~34

 

4つの福音書全てに登場する洗礼者ヨハネは、主イエスから「預言者以上の者」「生まれて来た者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった」と称賛されたほどの人物です。

荒れ野に住み、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、イナゴと野蜜を食べていたと記述されるヨハネの姿を想像してみますと浮世離れした仙人のようでありますが、ルカによる福音書は、そんなヨハネの父ザカリアが祭司で、母エリサベトも由緒正しい祭司の名門アロン家の娘であったと記しております。

私は、恵まれた家に生まれたヨハネが、何ゆえ家督を継いで祭司にならず、壮麗な都とはかけ離れた、荒涼とした荒れ野で「荒れ野で叫ぶ声」となったのかと、しばし想いを巡らせました。

 

そのうち私の中では、昨夏、天に召された教会員の丹波二三夫さんがヨハネに重なってきました。

差別され、虐げられ、社会の隅に追いやられている人々に寄り添っていかれた丹波さんは25歳で洗礼を受けられた後、山谷伝道に生涯を献げられた中森幾之進牧師から「神の声を聞きたければ、下の方へ上って行きなさい」と言われたといいます。

目には見えない主なる神の御心に心を研ぎ澄ませていく環境に生まれ育ったヨハネの関心とは、選りすぐりの人だけが立ち入ることが許された神殿での形式的な祭儀やうわべの献げ物、人間の都合で上塗りされてきた律法解釈や伝統などではなく、どんな人をも分け隔てなさらない主なる神の御声そのものを聞くことにあり、それゆえヨハネは、人が律法によって選別される場となってしまった神殿ではなく、どんな人であっても、主なる神を見上げることができる荒れ野に出て行ったのではなかったかと私は思いを巡らせました。

 

さてヨハネは、当時すでに「荒れ野で叫ぶ声」として有名で、人々は続々とヨハネの元に集まってきていたのでしたが、今朝の聖書箇所においてヨハネは自分の方へ主イエスが来られるのを見て「この方こそ神の子である」と端的に信仰を告白しています。

直感だけに裏付けられたような告白ですが、人の声に左右されることなく、主なる神の御声を聴くことだけに自らの全てを注いできたヨハネは「わたしは、"霊"が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た」とはっきり証言しています。

実に、神の子に相応しい神殿や、王の子に相応しい宮殿に生まれるのではなく、この地上における最底辺の状況にお生まれになり、30年にわたって見向きもされない寒村ナザレで、じっと隠れた生活をされてきたこの主イエスこそ、天から地上にやってこられ、人間になられた主なる神ご自身でした。

主なる神に出会うために神殿の外に出ていったヨハネは、全ての人間を招くために天から降りてこられた主イエスを「世の罪を取り除く神の小羊」として証言しています。

 

この3年後、主イエスは十字架の上で、全ての人間の罪を取り除く犠牲として自らを献げられるのですが、復活された主イエスは「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と宣言されました。

 世界ではウクライナやパレスチナで戦禍が拡大し、日本では能登で地震が発災し、世の終わりを匂わせる状況が次々と展開されていく中、神はどこにおられるのかとの問いがもたげてきますが、これはかつてヨハネも抱えた問いではなかったかと思いを巡らせます。

主なる神に出会うために神殿の外に出ていったヨハネが「世の罪を取り除く神の小羊だ」「この方こそ神の子である」と証言した主イエスは、十字架の栄光に向かわれる3年の間、寸暇を惜しむかのようにして、身を寄せてくる傷ついた羊の求めに応じ続け、暗くなってゆく灯心を消すことなく失われた羊を探し続けられました。

そして御自身が赴けなかった状況に弟子たちを派遣された主イエスは、御自身の体に結び直してくださった私たちをも御自身の手足としてお用いになられます。

私たちに会うために地上に降りてきてくださった主イエスは、私たちが天に昇らなければお会いできない遠いお方ではなく、私たちが自らの平穏という神殿に閉じこもることなく、傷ついた隣人を探しに出ていく時、その出会いの間に共におられます。

「世の罪を取り除く神の小羊」罪なき神の子によって罪咎を担われた者、主イエスとひとつにされ、主イエスと共に死に、主イエスと共に生かされている者として、主の年2024年も、聖霊に導かれて荒れ野に出で行き、聖霊によって主イエスの御業に用いられてまいりたいのです。

(2024年1月7日 降誕節第2主日礼拝説教)