説教「私たちの国籍は天にあります」

聖書 ヘブライ人への手紙11:32~12:2

 

主イエスの昇天後、弟子たちに聖霊が降って世界最初の教会がエルサレムに誕生した当初、まだキリスト教という宗教の概念もキリスト者という呼び名もありませんでした。当時の人々が主イエスの弟子たちを指す時には「あの道に生きる者」と呼んだといいます。それはキリスト道ともいえるもので、伝道とは主イエスの教えに服従する実際の生き方によって主イエスの道を証しすることでした。ヘブライ人への手紙は、ユダヤ教の分派程度にしか認識されていなかった主イエスの福音を、旧約聖書との関係において証しするために記された書物です。この書物は、主イエスが全ての罪を贖う完全な犠牲として自らの命を献げられた完全な大祭司であり、その死と復活によって、すべての人を主なる神のみもとに招く道を拓かれたと入念に証し、その道を歩む者が、いかに生きるべきかを示しています。

 

ヘブライ人への手紙11章には、地上での生活において名を遺すことができた旧約聖書の偉人たちと共に、報いらしい報いを受けることもなく死んでいった名もなき人々の存在が記されております。地上での評価や結末だけが全てというならば、人生とは不公平であり不可解であり不条理です。しかし人間とは肉体の死で終わりではなく、主なる神は、その先に、よみがえりに達する更にまさったものを約束し用意してくださっていると聖書は証しするのです。福音宣教に人生を費やしたにも関わらず、地上では苦労の連続で最期は首をはねられて殺されてしまった伝道者パウロも「わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます」と、肉体の死で終わらない、よみがえりに達する命の希望を証言しています。

 

私が学生時代に出会ったある方は「この世は、いつ名前を呼ばれるとも分らない天国の待合室です」とおっしゃっておられました。また聖書の次に翻訳されてきた名著と称される『天路歴程』は、キリスト者が人生において経験する苦難をキリストの似姿へと整えられていく過程・天国への旅路にたとえていました。そしてヘブライ人への手紙は12章において、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんかとエールを送っています。この世においては、叶えられたことや叶えられなかったことがあり、さらに叶えられて良かったことや叶えられなくて良かったこともあります。実に見えるものしか見えない人の目には秘められたことの方が多い人生ですが、たとえ全ては分からないままでも、独り子をお与えになったほどに世を愛された主なる神の御心は、主イエスの真実に結ばれた全てのいのちに叶えられていくのでありましょう。

 

今、世界は対立と混乱の渦中にあり、そこに生きる私たちも、その影響を避けられませんが、十字架の前夜、主イエスは「あなたがたには世で苦難がある.しかし、勇気を出しなさい.わたしは既に世に勝っている」とおっしゃられました。周囲の状況がどうであっても私たちは主イエスの真実に結ばれたキリストの弟子・天に国籍がある者なのですから、小さな事にも忠実であらせてください、最期までキリストの道を歩ませてくださいと祈りを携え直し、心を高くあげて天の国とつながっている日常の現場へと送り出されてまいりたいのです。

 

(2023年10月22日 聖霊降臨節第22主日礼拝説教)